ばらもんblogについて
初めまして。 2020年12月現在某3次救急病院の集中治療室で男性看護師として働いているばらもんです。 夫婦で看護師として働いています。
当ブログは、夫婦で看護師をしている私たちが健康で自分らしく生きていくために、看護師の仕事のこと、お金のことや田舎への移住のこと、実際の趣味のことなどリアルな情報を発信紹介していきます。 思うがままに書いていたら1万字overと相当長くなってしまったので、暇な人は時間があるときにでも読んでみてください。
看護師を始めて早数年、職場では中堅層といわれる年齢になりましたが、年数がたつにつれて自分の人生に疑問を持ち始めます。
- 看護師でいることに疲れた。看護師以外の生き方ってどうなんだろう。
- 給料は人並みに貰ってるけどストレスから散在してしまう。他の看護師は将来の貯金とかどうしてるんだろう。
- 今の生活を変えたいけど変え方がわからない。
同じように感じている看護師の方も多いのではないでしょうか。 私も夜勤の前は憂鬱な気分で一日を過ごしやりたいこともやれずスマホをいじって終わる。 妻も残業やストレスで肌が荒れたり不眠になる。 夜勤もある不規則な今の生活を定年まで続けていくのは無理! 結局行動しないと変わらない。このままだと会社に搾取され続ける人生だ! そういった生活を変えるために現在進行形で調べて行動している最中です。
早速ですが、ブログを見てくれた看護師以外の方は看護師に対しどういったイメージをお持ちですか?
- 「結構(給料)もらってるんでしょ?」
- 「将来安泰だね」
- 「医者に対してのコンプレックス強そう」
- 「周りに女性ばっかりで羨ましい」
これらは実際に私が友人や患者さん、親族などに言われた言葉です。 程度の差はあれど、看護師をしている方々なら一度は言われた言葉があるのではないでしょうか? 1、2はおそらく看護師に対して良いイメージをもって言った言葉でしょう。 3は特に男性看護師に対して使われる言葉かと思います。直接言われることはないかもしれないですがネットではまあまあ見かける意見ではあります。 4に関しては看護系大学に行っている時によく言われました。 女性に置き換えてみると「周りに医者がいるから玉の輿狙えそう」といった感じでしょうか?
では逆に看護師サイドから見た看護師の世界はどうでしょうか? 以下に看護師界隈でよく言われることをまとめてみました。
- 給料は夜勤があるから高く見えるが夜勤がないと安い。そして業務量や仕事に対しての重圧や責任感は給料に反映されていない。
- 看護師資格という国家資格があるからどこでも働けるのは事実。ただ実際は家族や子供のこと、移住・勤務先の変更に伴う人間関係への懸念から動けない。もしくは動く元気がなかなかでない。
- 医者に対してコンプレックスはないし職種間でのコンプレックスはない。それ以上に人間として尊敬できるか、関わりやすいかが重要。
- 女性社会は想像以上に大変。女性社会は大変と女性自身がよく言います。逆に男性は少ない人数で協力しなければいけないので仲良くなりやすい。
いずれにしても、看護師サイドから見た看護師の世界は、ネガティブな要素で満ちています。 Twitterでも看護師のバズる話題はネガティブなツイートが多い印象です。 実際私の同期も1年目は100人近くいましたが5年で1/3程度に減りました。 勿論女性が多いので、寿退社であったり産休に入ったりといったこともありますが、体感としては仕事に疲れてやめる率が非常に高いです。 本来看護師という仕事は以下のようなことからもやりがいがある仕事だと思います。
- 直接患者さんやご家族から感謝の言葉を言われる
- 命を救う最前線にいるという感覚を味わえる
- 医療の知識をつけて、自分の周りの人の健康も考えることができるようなる
ただ実際は
- やりがいを感じる余裕がないほど追い込まれてしまう
- 命を救う現場にいるはずなのに自分の健康が損なわれてしまう
というように大きなストレスを受けてしまうことで現場から離れる看護師が非常に多いです。 このブログはそんなネガティブなことを延々言いたいのか? と思われるかもしれませんがもう少しだけお付き合いください。 看護師サイドから見た看護師の世界はネガティブな要素で満ちていると言いました。それを否定することはできないですし、看護師の世界に嫌気がさしている看護師が多いのも事実です。 ただそれ以上に、私は看護師になることで得られるメリットも非常に大きいと思っています。 資格があるという事はそれだけで大きなアドバンテージになります。 せっかく苦労して習得した看護師資格。 看護師資格をもっと生かして、健康で自分らしく生きてほしい 大切な人にも無理に看護師資格に縛られることなく生きてほしい 。 そういった思いからこのブログを始めました。 投資信託や株への挑戦も、田舎への移住も全ては看護師資格があるからこそ行動できています。 ぜひ、私たちの考えや生き方を参考にして、ブログを見てくれた方々が健康で自分らしく生きられる手助けができればいいなと思います。
管理人は何者?
誕生から田舎暮らしの小学生時代
私は西日本にある片田舎のとある島で生まれました。 5人きょうだいとして育ちましたが、行動力は無駄にあり、田舎の場合は遊ぶ相手が自然であることが多いため、生傷の絶えない幼少時代を過ごしていました。 きょうだい以外にも、いとこだったり近所のおじいちゃんおばあちゃん、学校の先生など田舎ならではの人付き合いの濃い生活でもありました。

- 5分歩けば海と山がある
- 遠出をするには山を越えなければいけない
- 電車もない。コンビニもない。大学もない。全国展開のファミレスもない。
そういった田舎暮らしの中で、今思い返せば本当にのびのび過ごせていたなと思います。 だって幼稚園にチャリでいったり子供だけで海に行ったり山に行って木に登ったりしてるんですよ。 今では考えられないでしょう。 まぁ親の立場からしても目の前に海と山があるので止めようがないのですが。 「ばらもんくーん!行くぞー」 この言葉の10秒後には靴を履いて外に抜け出し全力ダッシュのまま海に飛び込みます。 止めようがありません。 大人からしても、田舎のため他の大人の監視の目があるという事も多少はあったのかもしれません。 勿論海に入るときは服を着たまま飛び込むわけですが、私はプロなので靴は走っている最中に脱げるため靴を濡らす心配はありません。 そしてもうひとつ重要なことは靴下は履いたまま海に入るという事です。 実は、海の中って足が届かないところは意外と靴って脱げやすいんですよ。さすがに靴をなくしたら怒られますから。 靴が脱げて追いかけようにも潮の流れに勝てるはずもないのであきらめるしかないんですよね。家に帰るときも夏のアスファルトって熱いですし。 そして靴下を履いたまま入ることの意義についてですが、整備された海水浴場なんかにはないことも多いですが、みなさん海の中って休憩できるような岩があるの知ってます? そういう岩ってたいがいごつごつして裸足のままだと痛いんですよね。だからこそ何かしらのガードはあった方がいいわけですよ。機会があれば実践して下さい。 そんなこんなでその時の生活は今でも心の中に鮮明に残っていますし、その記憶があるからこそ今再び田舎暮らしに対して躊躇なく飛び込めていると思います。
いざ都会へ!生活が激変した中学時代から高校時代
とはいえ現実はそう簡単なものではなく、やはり将来のことや仕事の関係もあり、小学校を卒業したタイミングで家族で島を出ることになりました。 当時の私は、友達と離れる寂しさや、都会に出る恐怖心から両親に対してかなり反発したのを覚えています。 お金を稼げるようになった今思うと、両親もかなりの葛藤があったと推測できますし、両親にとっても見知らぬ土地にでるわけですから相当の覚悟があったと思います。 まぁ都会とは言っても、東京や大阪ではなく地方都市ですが、当時の私からしたら海を越える移動は全て大移動であり、学校にクラスが2つ以上あるところは全て都会でした。 今思うと早いタイミングで島を出ることで、良い思い出のままにすることができたし、将来の選択肢がかなり広がり、今の妻とも結果的に会うことができたため、決断してくれた両親には感謝しています。 中学校に入ってからは、島ではできなかった大人数でのチームスポーツをすることができるようになり、そのおかげで友達も苦労することなくできました。 普通の公立中学校でしたが、入った部活はそれなりに強豪校ではあったためかなり練習は厳しかったです。 顧問の先生は「普段の生活態度がそのまま部活にも影響する」という先生だったので、挨拶や授業態度など、田舎でゆるく生活していた私にとってはかなりの衝撃でした。 とはいえそのおかげで部活も向上できたと思いますし、なにより社会的な常識や礼儀など、大人になっても通じることを文字通り叩き込まれたので、大変感謝していますし、今でも尊敬できる大人のひとりではあります。

将来の選択肢はどうする?高校卒業から人生で一番楽しい大学時代
夏の大会を最後に部活は引退です。 その後に待っているイベントといえば、今後の人生を大きく左右すると言っても過言ではない大学受験ですよね。
- 適当な大学に行っても結局遊びに行ってるだけで自分の身にならない
- 高い学費を払って行かせてもらう以上はしっかり就職して恩返しをしないといけない
- 興味のある分野はあるけど結局就職がなさそう
当時の私の心境としてはこんな感じでしょうか? とにかく大学に行くからには就職しないといけない。しかもよくわからん就職先では高いお金を払って大学に言った意味がない。 という考えが強く、さらに当時は就職難ということも叫ばれていたので余計に就職先にはこだわりました。 ほんとにめちゃくちゃ悩みました。 大学の候補は自分の学力とも相談して考えてはいたのですが、結局高校3年生の夏くらいまで決まらずでしたね。 ちなみに色々考えてはいたのですが、その時まで看護学校という選択肢は本当に1㎜も出てきませんでした。 そんな私が、なぜいきなり看護学校に行ったのかというと、ちょうど知り合いに看護師がいたからです。 その方は20代で家を大きな家を建てており、その方と話をすることで自分の中に初めて看護師という選択肢が生まれました。 そこから急ピッチで看護師について調べましたが、調べれば調べるほど「就職もできるし給料も高いみたいだしめちゃめちゃいいじゃん」となりました。 まぁこの当時は看護師のネガティブな要素は全く目に入らずポジティブな要素しか見えていなかったという事もありますが。 その時にネガティブな要素を見つけていたらどうしていたでしょう。 結局は変わらず看護師という選択肢を取っていたような気がしますが、今思うと大事なことは選択肢を広く持つことだなと思います。 選択肢があるってことはかなり重要です。 ネガティブな要素を見つけても進路は変えなかったかもしれませんが、理学療法士という選択肢を見つけていればそっちの道に行っていたかもしれません。 まぁたらればですけど。 そんなこんなでやっと高校3年生の夏休み終わりくらいに自分の人生が決まりました。 その時看護師の知り合いの話を聞いていなければ、おそらく今の私はなかったと思います。 本当に1㎜も看護師という選択肢がなかったですから。 私は文系だったのですが、履修している教科で行けて、かつその地域では有名な看護大学がたまたま近くにあったので大学選びについては全くと言っていいほど苦労しませんでした。 これに関しては運がよかったです。 親に看護師になるといったときはかなり喜んでくれましたね。将来何になりたいかもその時まで決まっていなかったので両親も言ってはこなかったですが心配していたのでしょう。 友達に言ったときは「ばらもんが!?無理やろ?」的な感じでした。 その時は憤慨しましたが、今こうして看護師以外の選択肢を探していることを考えると案外間違いではなかったかもしれません。 ちなみにその友達とは今でも仲良しです。 大学受験は普通に過去問対策をして普通に面接対策をして普通に受験して無事合格。 はれて看護学生の仲間入りです。 ちなみにこうやって書いているのでお分かりかと思いますが、私が看護師になったのは完全に就職やお金のためです。 そういう人も多いので、もし「こんな気持ちで看護師になっても大丈夫だろうか」と悩んでる人がいれば安心して下さい。 大丈夫です。周りにも公言はしないだけでそういった人はたくさんいますし。大学生活も楽しいですよ。
タイトルにもある通り、大学は人生で一番楽しい時期といっても過言ではない位楽しかったです。
- 車を持つようになって移動範囲が広がること
- 一人暮らしを始める人もいて気ままに生活できること(ちなみに私は実家暮らし)
- お酒を飲めるようになること
- 少ない男性同士仲良くなること
これらの要素が絡み合って本当に楽しさが倍増します。 大学生活については別の記事でも詳しく紹介する予定ですが、看護大学の場合は男女比が1:9位なのでどうしたって男は少人数で団結しなければいけないので仲良くなります。 男の看護師はまだまだ珍しいので、意外に思われるかもしれませんが入ってくる男性は意外と運動部でバリバリやっていたような人も多いので、ノリもよく気があいました。 かといって文科部のおとなしめの男性とも少ない男同士という事で仲良くなります。 もし看護大学に入ろうか迷う要素に男が少ないことを上げている方がいましたらそこに関しては心配しなくても大丈夫かと思います。 私も他の大学生活同様
- 友人と飲みに行って記憶をなくしたり
- 彼女と遠くまでイルミネーションを見に行ったり
- 意味もなく1人でなんとなく遠出して浸ってみたり
と大学生活を謳歌していました。 ちなみに、大学生活では彼女を作りたい、合コンをしてみたいなど男なら一度は夢見た生活に希望を抱いている方も多いでしょう。 上記でも上げた通り、男女比が1:9位なので、普通の大学に比べたら彼女はできやすい環境にあるのではないでしょうか? 授業でも周りを見渡せば女性ばかりですし、授業の中で体位交換や点滴の入れ方等触れ合う機会は多くなります。 私も大学時代は他の大学に行っている友人からよく合コンをしろとせがまれたのを覚えています。 とはいえ、立ち振る舞いには気を付ける必要があります。女性社会ではうわさが広がるのも一瞬なので、油断すると大やけどをする羽目になります。気を付けましょう。 また、この時期から今の第一の趣味でもあるバイクに乗るようになりました。 当時私は車を持っていなかったので移動手段はもっぱらバイクです。 暑い日も寒い日も彼女とのデートもバイクと共に苦楽を共にしてきました。 幸い他者との事故はしていませんが、コンクリートとは何度か抱き合った経験はあります。 軽い傷で済んでよかったですが、それでも乗るのをやめないのはバカだと思うし、現在乗るのに反対しない奥さんには感謝です。 逆の立場だったら何としても止めさせようと思います。 大学生時代は中型免許で大多数の大学生と同様250のバイクを車検がかからないという理由で購入。 しかし、最初のバイクは何も知らないままバイク屋に勧められるがまま購入してしまったため、今では考えられないフルローンで購入。 今考えると本当にバカです。 しかもバイク屋で勧められたローンのため金利もだいぶ高かったと思います。 バイクに関しては社会人になってからも継続して乗っており、 原付(4st)→原付(2st)→250→800→1200→250→250(&カブとの2台持ち)と現在のバイクが7代目です。 ちなみに2代目からは1代目の教訓を生かして銀行でローンを借りたり親に借金しての親ローンで購入したりと多少のマネーリテラシーはつきました。 きっと今のお金に関する価値観やお金を得るための行動力はこのことも原動力になっていると思います。 「失敗は成功の元」「若いときの苦労は買ってでもしろ」とは言いますが、文字通り苦い思いを購入した結果が今に繋がってると思うと当時のバイク屋には感謝するべきかもしれません。 絶対許さんけどな! そんな大学生活を謳歌している私でしたが、それはある時期まででいったん終了します。 看護師の方ならだれでも一度は経験して、絶対に避けては通れない試練。 それが恐怖の領域別実習です。 私の大学は3年生の後半から始まります。 2年生までもちょくちょく実習はあるのですが、あくまで看護体験的な要素の方が強いように思いますし、期間も短いため大変ではありますがそこまで辛くはなかったです。 実習が始まってからは
- 死んだ魚の目をしながら手書きの記録に「こんな時代に何やってんだ」と思いつく限りの悪態を吐く
- 自分でも何を書いてるのかわからない関連図を書く
- 油断して記録の途中で意識不明になる
- 病棟カンファレンスは何言ってるかわからんし必死に眠気と戦う
- 血圧の測り方がなっていないという意味不明のありがたい指導をいただく
実習中は同じ看護学部全員で乗り切ろうという意思が感じられるので、普段あまり話したことない人とも励ましあいながらなんとか乗り切っていた記憶があります。 当時は本当にしんどかったです。 考えてみれば、経験年数のいった看護師でもやめたいやめたいと嘆く職場に、たった1~2年位勉強といわない勉強をしただけの看護学生が放り出されるわけですから。 そりゃしんどいですよ。 勿論全ての実習先がそういった辛い環境というわけではありません。 実習先によって身体的精神的きつさが180度違います。 運ですね。こればっかりは。 実習中の教育担当が優しい人であることを願うばかりです。 ちなみに私の大学は同じ系列のグループが病院も経営していたので、そこの病院に実習に行くことが多かったのです。 これがどういうことかというと、看護学生はみんなが同じ病院に実習に行くという事です。 その結果何が起こるかというと、実習先のうわさがバンバン回ってきます。
- ○○病棟の△△ってやつはやばい。
- ◆◆病棟の★★さんは神。めっちゃやさしい。
すでに言葉遣いに気持ちが表れています。 やばい人に関しては「やつ」呼ばわりされてますから。 勿論実習といっても実際の病気をもって入院している患者さんに、学生という立場でありながらも看護師として対応するわけですから。 なにかあれば責任を取るのは実習先の担当看護師ですし厳しくなるのも当然です。 忙しい業務の中、学生に対して看護師が時間を取って対応しているのも事実なので負担なことに変わりはないです。 とはいっても学生もバカではありません。 厳しいことを言ってくる人と忙しさから切れ散らかしてくる人は違います。 厳しいことを言ってくる人は「怖い」と噂になっても「やつ」呼ばわりされることはありません。(多分) 「やつ」呼ばわりされる方は看護師となった今の立場からみても「やばいやつ」である確率は高いのです。 そんなこんなでなんとか実習も乗り切るといよいよ看護師国家試験(以下国試)の勉強に本腰を入れなければいけません。 ちなみに国試の合格率は9割程度なので、それだけ聞くと簡単なイメージを持ちますが当の私たちからしたらそんなことは知ったこっちゃありません。 受かるのが当然みたいな試験なので落ちたら相当恥ずかしいですし、学校の先生たちも「油断してると落ちて赤っ恥かくぞ」みたいに煽り倒してきます。 合格発表も確か3月の後半くらいだったので、もう就職先も決まってなんならオリエンテーションも受けてるくらいですから。 落ちようもんならだれが落ちたのか学部の中でうわさになりますし就職先には「落ちました」と報告いかなきゃいかんしで絶対に受からなければいけない試験です。
そりゃ必死に勉強します。 国語辞典みたいな参考書持ち歩いて寝る間も惜しんで勉強します。 国試のスケジュールですが、大まかに言うと以下の通り。
- 2月半ば試験(すでに大学は終了済みで卒業式を残すのみ)
- 3月後半合格発表
- 4月就職
てな感じなのですが、2月の国試が終わると就職までは勉強もせずに最後の遊び倒せる時間になるわけです。 だいたいの人はこの時期に卒業旅行であったり飲み会をバンバン入れたりしているわけです。 国試の結果についても、合格発表は3月後半なのですが、それまでに各予備校みたいなところから参考の回答が出ておりある程度の自分の点数はわかるわけですね。 国試の合格ラインはある程度知ることができるので、その点数に余裕があれば多少の不安はあるが勝ったも当然ですね。 就職までこれでもかというくらい遊び倒せるわけです。 逆に点数がギリギリの人は生きた心地がしないでしょう。 実際同じグループのA君は、周りから見れば多少低いけど大丈夫そうなラインの点数だったのですが死んだ顔をしていました。 勿論その心理状態で卒業旅行や飲み会に行くわけになるので本人は多少しんどかったと思いますが、私たちから見れば大丈夫そうなラインだったのでいじり倒すことになります。 仮に点数が本当にギリギリの人はいじれません。 私がもしギリギリのラインでしたらそもそも卒業旅行や飲み会にも行ってないでしょう。 そんなこんなで気持ちは人それぞれでしたが、結局Aくんも含めて無事受かりました。 楽しかった大学生活もこれにて終了です。 その後はいよいよ看護師生活の始まりですね。 ちなみに今の妻も同じ大学の人です。 看護師同士の結婚はこのパターンが多い気がします。 就職試験については今後別記事を用意しますのでそちらを参照ください。
なんだかんだで時が経つのは早かった看護師生活。今の心境に至るまで
はれて看護師になりましたばらもんです。 看護師最初のどきどきイベントは配属病棟でしょう。 以下は病院に就職すると決めた学生が最初に悩む選択肢の一覧です。
- 外科か内科か
- 集中治療室(ICU、CCU,SCU等)やオペ室か否か
- 1年目から精神科に行ってもよいか否か
病院就職の場合はこんな感じでしょうか? この編はこちらの記事でも紹介しているので参考にしてください。 私は外科と内科の違いもよくわかっていなかったです。 だって就職する前にオペがあるないとか言われてもよくわからないでしょう? オペがあるから結局どうなるんだよ?って思いますよね。 結局周りの話を聞いてるとなんとなく外科は忙しそうだったので内科にしました。 オペ室はなんとなく嫌だったし集中資料室は最初から行くには難易度が高い気がしたし精神科も技術がつかなそうだったしという大多数が同じ理由で悩むことを同様に悩んで無難な内科にした感じです。 調べなかった私もアレですが、今からもし病棟を選ぶ人がいればしっかり調べて病棟は選ぶべきだと思いますよ。 それは疾患とかの話ではなく人間関係とかの話。 最初の病棟は結構大事な気がします。 内科病棟に就職した私ですが、対象となる疾患としては血液疾患と高齢者の疾患が主でした。 高齢者の疾患とは誤嚥性肺炎とか尿路感染のような高齢者の方が陥りやすい疾患ですね。 THE.内科って感じです。 幸い病棟の看護師は優しい方が多かったので、確かに仕事は大変でしたが人間関係で悩んだり先輩に詰められたりということはなく成長できたと思います。 1年目のころはまだ実家暮らしだったのですが、今思うと実家暮らしで正解だったと思います。 帰って家事とかする気になれないしご飯や風呂が用意されているのは大変ありがたいです。 なので私は、就職1年目の方に対しては仮にそれまで一人暮らしをしていたとしても実家に戻ることをお勧めします。 看護師の世界は教育についてもマニュアルがあってないようなものです。 先輩によって言ってることが違うとかは結構あります。それに加えて先輩独自のやり方や病棟の暗黙の了解的な部分もあり中々苦労しました。 細かいミスはたくさんしましたが、患者を死なせることなく、同期もやめることなく無事に1年間を終えることができました。 Twitterなんかを見てると1年目からしっかり勉強してという方も多く感心します。 私は勉強する余裕もなく現場で覚えるというスタンスで過ごしていた気がします。 まぁ集中治療室と内科病棟では状況が違いますが、内科病棟の方がのんびりはしているのでそういった部分は自分に合っていたと思います。 2年目になると多少余裕が出てきますしできることも増えてきます。 先輩の監視の目は新たに入った1年目に行くのでのびのびすることもできます。 3年目にもなるとより余裕が出てきます。 新たに1年目の指導としていわゆるプリセプター制度(警察のバディ的な感じ?)が自分の所に回ってきますが、1年目をやめさせることなく成長させるということに責任感を感じます。 そして3年目あたりから、余裕が出てきたことで自分の将来のこともしっかり考えるようになり、さらには看護師のネガティブな要素も見えてくるようになりました。 それは自分のことでもそうですし、他の看護師同士の関係でもそうです。
- 男として、この先ずっと続けていく(と当時は思っている)看護師という職業に対して同じ病棟でマンネリ化することへの危機感
- 集中治療室で働いている同期への憧れ
- 認定看護師や専門看護師といった資格も含めて将来の自分のなりたい看護師像について
- 自分が教えて、教えた後輩がそれを実践して業務に還元できる楽しさやうれしさ
- 年数がたつにつれてやめていく同期や、先輩たち。中には1年目の途中でやめていく看護師もいてそういった環境に対する不信感
- 1年目に対する指導でも明らかに行き過ぎている指導を行っている人がおり、それに対して職場も疑問は感じているが何も言わないこと
自分のことでは将来の看護師像についてよく考えるようになり、他の看護師同士の関係では主に1年目に対する指導について目につくことが多くなりました。 具体的には、
- 職場で大人が泣かなけばいけない位追いつめられる指導の仕方
- 周囲に看護師や患者がいようと関係なく指摘をして尊厳を傷づけるような指導の仕方
- 「できなくて当然・1年目は元気に職場」に通うの精神がなく最初から100%の出来を求める指導の仕方
これらが本当に納得いかなかったし許せなかった。
自身のことに関しては上記のこともあり移動希望を出して4年目の途中から集中治療室で働くことになりました。 集中治療室では働き方や患者の重症度などまったく違いますが、それでも新鮮な気持ちで働くことができました。 そして、やはり3年位が経つと将来について再び考えるようになります。
- 集中治療室というプレッシャーが強い環境で40代50代になっても働くことができるのか
- やはり夜勤の勤務が辛く家族との時間も夜勤があると上手く取れない
- 他の部署に回ったとしても結局は同じ繰り返しになるのではないか
上記のような考えが浮かんでは消え、その結果私は

- 病院以外での看護師の働き方(訪問看護や医療機器メーカー等)
- 看護師資格を持っていながら看護師資格を使用せず働いている方
- 副業としてのお金の稼ぎ方
- 現状の環境の変え方
その結果、現状で私が出した結論が、
- 看護師資格があるからこそいつでも看護師に戻ることができ、他のことに挑戦しやすい
- 看護師でいれば安定して平均年収くらいのお金は入ってくるし、緩い病院に移ればそこまでせかせか働かなくてもよい。そのお金で株や投資信託をすればよい
という事でした。その結果行動したこととして
- 看護師は全国どこでも働けるから田舎暮らしに挑戦する
- 資産運用を開始する
- ブログを始める(主に副業と悩んでいる看護学生、看護師のため)
となりました。 実際に職場には辞めることは伝えており、資産運用に関しても2019年8月から楽天証券で開始しています。 これらの行動に対して周りの人からは
- 男なんだから認定や専門に挑戦しないのはキャリア的にもったいないのではないか?大きな病院にいれば成長するチャンスは多いのに田舎に行くとそれらがなくなる可能性が高いと言われる
- 株はなくなるリスクがあるがわかっているのか?危ないし真面目に働くのが一番だと言われる
などなどネガティブなことしか言われません。 1年前の私も同じような意見だったかもしれません。 ただ何度も繰り返しているように 資格があるからこそ挑戦できます。 ネガティブなことしか思い浮かばないのは自分にその選択肢を選ぶだけの知識がないからです。 看護師であれば安定とリスクを同時にとって生活できます。 ここで最初の「ばらもんblogについて」に戻ります。 私たちが目指すのは 健康で自分らしく生きていくことです。 このblogが少しでも人生が豊かになるようポジティブな影響を与えることができるよう精一杯伝えていければいいなと感じます。
改めて
ここまで読んでくださりありがとうございます。 もしかしたら読んでない方もいるかもしれませんがそれでも目を通してくれてありがとうございます。 今の時間がAM1時なのでちょっとテンションがおかしいですが、改めてこのブログを始めたきっかけは 少しでも看護師に選択肢を与えたい という思いで始めました。 仕事の事だけでなく、お金のことも参考になるように発信していければと思います。 よろしくお願いします。
当ブログは「Amazonのアソシエイトとして、当メディア